生き抜く!

コロナワクチンと放射能と賭け

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ワクチンを打つか打たないか

ワタシは、今月コロナワクチンの2回目接種を終えた。

引き続き…世の中は、ワクチン派と反ワクチン派にわかれて終わらない議論が続いている。

A君
A君
ワクチン打つとコロナの抗体ができる!
Bちゃん
Bちゃん
どういう副反応が出るかわからないし…
Cさん
Cさん
打つのがマナー!
D氏
D氏
俺にはすでに抗体がある!
D氏
D氏
コロナもワクチンも陰謀だ!

という具合に様々な意見が飛び交っている…

ワクチンを打つ人、打たない人は4種類に分かれる。

  • 正しい情報を元に、ワクチンを打つ人
  • 不確かな情報を元に、ワクチンを打つ人
  • 正しい情報を元に、ワクチンを打たない人
  • 不確かな情報を元、にワクチンを打たない人

ただ、時間の経過と共に新しい事がわかると…今まで正しいと思われた事が間違っていたというのはよくある話である。

だから…ワクチンを打つも打たないも自己責任という事になる。

すべての人に共通するコトは、「健康で長生きしたい」という願い。

良くも悪くも情報化社会。

ネットを通じて、情報の洪水を浴びる事ができる。

その気になれば、コロナ博士になるコトもできる。

一歩引いていろいろ考えてみた結果、ワタシは、ワクチンをうけた。

損失回避としてのワクチン

人は、誰しも健康長生きしたい。

満ち足りた人生を送りたい。

健康、長生き、満ち足りた人生の先には「死」がまっている。

生き物であれば、何であれ「死」が訪れる。

今のワクチン賛成・反対騒動の根源は人々の死生観の違いによるものである。

「死」を遠ざけ「生」を追い求める事で文明社会は発展してきた。

医療、衛生、安全…すべては、より良き「生」を追い求めての事だ。

自分の生きてきた道筋、学んできたコト、信じるモノを胸に、人々はワクチンを打つか打たないかを決断する。

すべては、より良き人生の為に。

コロナに感染して苦しむリスクと、ワクチンの副作用で苦しむリスクのどちらが良いか判断するわけである。

「苦しみ」「死」という損失を回避するために、選択をしないといけないのである。

科学的に見て、はい、心臓がとまりました。はい、脳死状態です。というのが「死」の側面であるが、人には感情がある。

どういう死生観を持つか?

どのような生き様を見せるか?

いかにお金を持っていようとも、地位や権力があっても死を前にしては夢のように空しく、幻のようにはかない。

だから世の中には、無数の死生観が生まれる。

時にそれは、宗教であったり、哲学であったり、道徳であったりするわけだ。

チェルノブイリ原子力発電所の付近で暮らす難民家族

こんなドキュメンタリーを見た。チェルノブイリ原子力発電所の放射能汚染地域内に住む難民家族の話である。

汚染地域内には退避命令が出ていて廃墟が立ち並ぶ。その中でも様々な事情からそこに住居を構える人もいる。

古い家の戸口の前で、アナウンサーが放射線計が振り切れているのを確認している。

その古い家の住人であるひげを蓄えた父親にコメントを求めた。

「なぜ、ここに住むのか?」

父親は、5歳ぐらいの娘の肩に手を乗せながら答えた。

「私達は、戦争で済むところを奪われてここまで逃げてきた。戦争は目に見えるからこわい、放射能は目に見えない。」

ワタシは、考えた…

戦争という損失より、放射能という損失の方が軽かったという事なのか…

汚染区域という事で安全に暮らせる。

この家族はそういった理由から、今の選択肢を選んだのだろう。

きっとその父親の決断には、今まで生きてきた経験、覚悟、死生観すべてが入っていたに違いない。

チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故である。のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)では深刻な事故を示すレベル7に分類された。これは、福島第一原子力発電所の事故と同じレベルである。

ワタシの損失回避とポジティブ思考

ワクチンを打つか打たないか?

これは実にイロイロ考えた。イロイロ調べた。

だが気付いた、考えても…調べても…答えは無限である。

結局、自己責任で決める必要がある。

そんな中…ワクチンパスポートという言葉を聞くようになった。ワクチンを打った事が証明されていなければ、入国を拒否する。あるいは待機期間を設ける様な制度が始まる事が示唆された。

「フランスでは至るところでワクチンパスポートや陰性証明書を確認されます。接種可能な12歳以上はそうした書類がなければ、飲食店は当然ながら、スーパーやデパート、病院も含め、多くの施設に入ることができない。飲食店での確認はニューヨークなど多くの国や州で実施されていて、グループで利用する場合、一人でも不携帯ならその人は利用することができません」(欧州を拠点に活動するジャーナリスト・宮下洋一氏)

世界の企業の中で従業員すべてにワクチン接種を義務づける会社も出てきた。

構図は、ワクチンを打った人が、打たない人を間接的に分けるような仕組みである。

このような仕組みを導入すると、人間関係には必ず差別意識が生まれる。

差別反対と声高らかに叫んでも、人間は本質的に差別意識と同居して生きている様に思えてならない。

大事なのは、誰しもそういう傾向性があり、自分を注意深く見守る必要があるという事である。世の中から100%差別が消えるのは、理想的ではあるが、現実はそうはいかない。

この差別意識は、仕事、人間関係、経済活動に大きな影響を与える。

これを回避するには、飲み薬でコロナが治る様な新薬が出回り、成果が実証される事である。

これには時間がかかるだろう。

ワクチンを打つのも、打たないのもある意味大きな賭けである。

ワタシは、ワクチンを打つという「賭け」を選択した。

損失回避という考え方を「賭け」にして人生楽しむ事にしたのである。

世界には、強い信念、ポジティブ思考で不治の病を克服した人がいる。

また不治の病に侵されながらも、余生を最大に輝かせながら生き切る人もいる。

ワクチンを打った側で、愛と勇気と自由を自他共に分かち合える人生というものは、どういうものになるだろうか? 

こちら側で人生を生き切ってみよう!との想いからの選択であった。

共々、良い人生を!

であるv